*牢騷*

為什麼有人就是看不懂字 聽不懂人說話

林奈 發表在 痞客邦 留言(0) 人氣()

有時候覺得自己與人群很近 身在人與人交會的群體之中

有時候覺得自己與人群很遠 身在為自我流放的囹圄之中

林奈 發表在 痞客邦 留言(0) 人氣()

原以為我是個不大會想寫日記的人,但是最近突然一頭熱的想做這件事情。

也許就是人生的一個紀錄吧!將來看或許會非常有趣,這個紀錄我的自我成長的過程。

林奈 發表在 痞客邦 留言(0) 人氣()

『注文の多い料理店』序

宮沢賢治


 わたしたちは、氷砂糖をほしいくらゐもたないでも、きれいにすきとほつた風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
 またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗らしやや、宝石いりのきものに、かはつてゐるのをたびたび見ました。
 わたくしは、さういふきれいなたべものやきものをすきです。
 これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹にじや月あかりからもらつてきたのです。
 ほんたうに、かしはばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかつたり、十一月の山の風のなかに、ふるへながら立つたりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。ほんたうにもう、どうしてもこんなことがあるやうでしかたないといふことを、わたくしはそのとほり書いたまでです。
 ですから、これらのなかには、あなたのためになるところもあるでせうし、ただそれつきりのところもあるでせうが、わたくしには、そのみわけがよくつきません。なんのことだか、わけのわからないところもあるでせうが、そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。
 けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまひ、あなたのすきとほつたほんたうのたべものになることを、どんなにねがふかわかりません。

  大正十二年十二月二十日

宮沢賢治

林奈 發表在 痞客邦 留言(0) 人氣()

«12